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マクロスF見終わったどー!!
最初、ギャグだと思って見てました。
いまでも若干ギャグである感はぬぐえないけど、(あれv)
設定がある一定のレヴェルを超えたーー!!(もちろん自分基準v)
最終回はただのライブだったけどねv
そしてランカ嫌い。
見終わった瞬間、居ても立ってもいられなくって、深夜にもかかわらず友人に電話してしまったよ。
話すこと2時間。(その友人との平均通話が基本3時間なので、今回はましなほう(笑
どれだけ、ランカが嫌いか切々と話しました。
もちろん私が、一方的に☆
マジ、自己中でごめんね!
で、シェリルの圧勝!!
今日の名言―――――――――――――――――――――――――
人を道具として使うならとことん冷酷になりなさい。
優しいのは罪よ。
それが同情だってわかっていても甘えたくなるから。
by.シェリル・ノーム(22話)
――――――――――――――――――――――――――――――
あぁぁぁぁああああぁぁぁああぁーーーーー!!
さらに追い打ちをかけるかのようにもう一言
――――――――――――――――――――――――――――
覚えておきなさい!
こんないい女めったにいないんだからね!
by.シェリル・ノーム(24話)
―――――――――――――――――――――――――――――
はい。おっしゃる通りです。。。
シェリル・・・・あんたスッゲェいい女だよ・・・
目から汁が・・・格好良すぎて大量の汁が・・・
つか、もうこれ女通り越しておっとこ前・・・
女版カミナ!!(俺を誰だと思っていやがる!!)
性別オスで本物の男だったのはオズマ・・・ありゃ惚れるわな・・・
そして何より主人公のアルトがカスに見える。
申し訳ないけどチンカスだ!(オヨヨ
とまあ、ヲタな感想はこれ位にして、(つか、とめないと止まらねぇ)
マクロスFに出てくる敵・バジュラやグレースにあてられてちょっと考えてしまった。
未知の生物バジュラと地球を追われ銀河を彷徨う人類との壮絶なバトルが一様話のメイン。
ここで注目すべきは、銀河系規模での並列化が最終的に可能なこと。
敵である未知の生物バジュラが群れで一つの個体であり、言葉・思考・個性を持たない生き物だという設定。(劇中では、バジュラ一匹一匹がそれぞれ脳のシナプスのような役目を果たし、全体で一つのようなものと言ってた)
バジュラ同士の一様のコミュニケーション手段が、ホールドという、目に見えないオーラのような物質で行われていること(あってる?自信無し
バジュラ一匹が受けた攻撃は全体の記憶としてフィードバックされ、次の戦いの時には、今までの攻撃が効かなくなる。
そして話が最終局面に進むにつれ、黒幕であるギャラクシーの人間やグレースの目的が人類の並列化だったこと。
正直、人類の並列化なんて、考えただけでも気持ち悪い発想だと思ってしまう。
現にいい例として、バジュラは並列化に成功しているがそこに一個体としての個性が存在しない。
それは、並列化に対しやはり個性は障害の一つであると言う証明にもなっていると考える事ができる。
で、ビビったのが、リアルワールドで本気で並列化できたらいいのに・・・って思っている人がいること!!
ここで、攻殻を挙げますが、(並列化、模倣、コピーと言ったらこのアニメv)
攻殻で素晴らしいのは(sacね)電脳の世界で肉体を消失しても、一個体としての意識を持ったまま存在することは可能かという疑問に対し、オリジナル無きコピーの増殖と、それによるオリジナルの獲得という逆転現象。
また並列化の先、可能性として好奇心という希望を最終的に提示していること。(神山監督神!!)
それを証明するために死という概念をエピソードの中に盛り込んでいる。(25話涙腺崩壊)
(この設定の流れは本当にカッコイイ!!何がカッコイイかって?愛じゃないところ!!)
まぁマクロスは、メインが三角関係やら愛やら人類の存亡をかけた戦いやら歌っ!(笑)
なので、難しい話はあまり突っ込んでません。
考えるべきはアニメの中で並列化などの設定が結構含まれるようになったこと。
それでいて、浅はかな考えの下、並列化を本気で望んでしまう人間がいること。
作っている側が意図しているものでなくても、多くのアニメで具体的な例として、もしくは表立って現れるようになってきている現象について。
しかも面白いことに、ストーリー上の敵、もしくはそれに近い存在の意識に組み込まれて出てくるところ!(グレンラガンならアンチスパイラル。でもあれはまた別の話。)
マクロスFで言う並列化は、かなり付焼刃的な印象がぬぐえないが、それでもストーリー上の重要なピースであることには違いない。
これはいったい何を意味するのだろうか。
作家は現実を模倣する。
(心の名言集より抜粋(笑
で、現実を見て考えてみた。
現実世界での文明の進歩が並列化に似た現象を可能にしつつあるということ。
とはいえ、当たり前だが、攻殻やマクロスのバジュラのようにはいかない。
ブログやプロフで一個人の行動を遂次ネット上にアップすることで、他者が意識の一部に触れることができる。
一個人が所有するその時々の感情や体験を、ネット上から情報として摂取する。
しかしこれは他人の思考を垣間見るだけで、並列化の足元にも及ばぬにはあまりにもお粗末なもの。
現実世界で起こっている現象は、言うならば質の悪いコピーといった感じた。
電脳世界と現実世界は違う。
フィクションと現実は違う。
これをしっかり考える必要がある。
それにも関わらず、ネットなどの仮想現実での繋がりに異様な執着と興味を示すのはなんでだろう?
物理的肉体を持ち思考も取り添え、己が判断のもと道を切り開くことができる。
これ以上何がある!
不安なのはわかるけど、安易な繋がりは今後の不穏因子になってしまう
一番の間違いは、並列化と共有を取り違えていること。
並列化の真似ごとにより、時間や場所を選ばずして他者と繋がることは出来るが
それはあくまでも情報の共有であり、並列化ではない。
しかもそこには肉体的体験が付いてきていない!!
この肉体的体験が重要なのにもかかわらず、それに気づいていない!!
ただ、他者と繋がっていることで得られる安心感はある。
少なくとも、自分ですらネットに依存しているぐらいの人間だから、その気持はわかる。
でもこの安心感を得るために何かを犠牲にしているのでは!?
と考えたとき、真っ先に浮かんだのは『考えること』だった。
自分の思考ではなく、他人の思考で物事を語る。
これを徹底して行えば、ある種一つの個性を獲得することができるが、
ただし、それに至るまでに、大量の情報に身をさらし、ひたすら思考を巡らす行為が必要になる。
そして、思考の末それをパフォーマンスとして行動で体現しなくてはならない。
壮絶な矛盾を、パラドックスを彷徨わなくてはならないのだ。
で、中途半端な思考と行動でぐっちゃぐちゃ・・・
人間に並列化は不可能だ。(攻核レベルの世界になってくると、そうは言い切れないけど)
ネットでか繋がっていられない関係なら、個性がなくても経験を財産とし進化をするバジュラのがある意味ましではないだろうか。
文明の発展で手に入れた、大量の情報と思考が飛び交う仮想現実を目の前に、
ある種の混乱と退化に似た現象が生じているように思う。
友人曰く、これは大戦間期でありその混乱だと言い切る。
こんな過激な発言、認めたくはないが、その発想にどこか納得してる自分がいる。
並列化の先に可能性はあるが、まずそれよりも前に、果てしない絶望と課題があることを
考えなくてはならない。
安易な思考と発言、目の前の情報に対し受け身であること、情報の取捨選択の浅はかさ、挙げたら切りがない。
しかし、肉体と思考を持つことで並列化の難しさは増すが、それ以上に得るものがある。
せっかく持ち合わせている肉体と蓄積された記憶、経験、そして思考。これをフルに使わずにどうする。
何が言いたいかって言うと、最終的には自分の脳でよく考えろ!
そして行動のもとに提示しろ、ということ。
回りくどくたらたら書いてはみたものの、この一つに尽きる。
悩み、もがき、苦しみながらも決して思考は止めるな。
そして動け。その時はじめて自分の発言が武器になる。
もうこれしか言うことがない気がする。
劇中、印象的なのが、シェリルねぇさんが「私はシェリルだもの」と何度も繰り返し言っていること。
私の中では思考を持たないバジュラの存在を一層強く考えさせた。
まさにデカルチャー・・・じゃなくて、デカルトの言った言葉。
「cogito ergo sum(我思うゆえに我あり)」
劇中のシェリルのセリフの根本には、
揺ぎ無い意志と自分の行動の末に“唯一”の存在であり得ることを、無意識的に自覚していること(あ、言葉の矛盾)
そしてそれが確信として、己を支え行動していくこと(あ、またも矛盾)
シェリルにあるのは並みならぬ自負!自信は後から付いてくるもの。(で、最初のシェリルの言葉に号泣・・・)
やっぱかっこいいね、シェリル!
つか、シェリルを語るのに回り道し過ぎた・・・
それに対し、バジュラは並列化のによる進化を繰り返す、発展途上の存在としてとれる。
未知の生物としてのバジュラは本来人間が求めてやまない完ぺきな存在になりえたこと。
思考がないためここで、デカルトの言葉は通用しない。
しかし、別の意味でそれこそ人間が求めてもなりえないような「完璧」が生まれたかもしれない。
マクロスFのおけるバジュラと登場人物達は、現実世界で矛盾の中を生きる人間の一つの例だったと考えられる。
この年になってくると、無知が罪であることを強く実感する。
情報の海に自分をさらすことがどれだけ過酷で絶望に満ち満ちているか考えると
いっそ無に還りたいと思ってしまう。
だけど、無限に広がる可能性を目の前に、千載一遇のチャンスを見逃すな。
先見の明を磨け。
己の最大の敵は己であり、まず最初に克服すべきは己である。
う~ん・・・
なかなか厳しいお言葉ですね・・・
せめて自分の見える範囲で起こっていることには、自分なりの答えを出して立ち向かいたいっす。
呼吸するのも難しいような矛盾の内包する世界で、生きるのはやっぱりしんどいゼ。
とりあえず、『亡念のゾムド』よろしく、思考を巡らすことに力を尽くそう・・・(遠い目)